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Vol.7
ESSAY
◆ 水曜日の蚤の市
先日、冬物の衣類を整理していて、ふとポケットに手を入れると小さな紙切れが1枚。
洗濯されてくしゃくしゃになったその紙を開くと『○○○ Smith 』という英文字の名前と電話番号が書いてありました。
「あぁ、そうだ、あの時のおじいさんだ。」
私は3年程前ひとりで行った買い付けでの出来事を思い出しました。
カムデン・パッセージ(Camden Passage)
ロンドンに滞在するときに必ず立ち寄る私の好きな蚤の市のひとつです。
地下鉄の『Angel(エンジェル』という可愛い名の駅で下車して徒歩5分。
水曜日は常設のショップの他に路上に小さなお店が並びます。
そこで出会った不思議なおじいさん。
私はいつもの通り早朝からこの蚤の市のお買い物を楽しんでいました。
お目当てのお店でレースや小さなボタンやスタンプなど可愛い小物を見つけ満足して歩いていると
蚤の市の小さな路地裏のお店で、あるひとりのおじいさんと目が合いました。
とくに気にもせず私は軽く会釈してお愛想笑いなどを返していましたが
その後何度となく目があう度に微笑みかけてきていたので、少しだけ怪訝に感じていました。
さぁ、買い付けも終わりそろそろフラットへ戻ろうと駅へ向う道を歩いていると偶然さっきのおじいさんと再会しました。
おじいさんは私の顔を見るなり満面の笑みを浮かべて
「やぁ、すごい荷物だね?今、お茶を飲みに行くところなんだけど一緒にどう?」
新手のナンパ(?)にしてはあまりにもお年寄りだし、足が少しご不自由のようで片足を引きずっています。
私も両手いっぱいのお買い物で少しばかり疲れていたところ、
人なつこいおじいさんの笑顔に誘われるまま、ご一緒させていただくことにしました。
おじいさんは行きつけの小さなティールームで2人分の紅茶を気前よく注文してくれ、
私たちは簡単な自己紹介やたわいもない会話を交わしていました。
おじいさん「一緒にお茶が飲めて嬉しいねぇ、この寂しい老人とお友達になってくれるかい?」
私「ええ、もちろんよ。」(ロンドンにいる間くらいならね...)
おじいさん「じゃ、今度、日本へ行ったら観光案内をしてくれる?」
私「ええ、いいわよ。」(日本へ?まぁ、どうせホントに来るわけもないでしょうし...)
おじいさん「じゃ、お互いの電話番号を交換しよう。」
私「......」(う〜ん、電話番号はちょっと...)
会ったばかりの初対面の人に電話番号を教えるのはためらいましたが、
くったくのない小さな老人の笑顔に負けてそっと自宅の電話番号を手渡しました。
ヨレヨレのシャツに取れかけたボタン、穴の空いた手袋とクタクタに擦り切れた帽子、
おじいさんのいでたちからは一目見て質素で貧しい暮らしぶりが伺えます。
聞くところによると、おじいさんはエンジェルのマーケットのすぐ近くで一人暮らしをしているとのこと。
3年前に奥さんを亡くし子供達は独立し、今は一人寂しくアンティークを売りながら細々と生活していると聞き
なんだかとても気の毒になってしまいました。
おじいさんは「アンティークが好きなら家へ遊びにおいで。いっぱい見せてあげるよ。」
しかし、昼間とはいえさすがに初対面の男性一人暮らしの家へ行くのはなんだか急に恐くなってしまい、
おじいさんには悪いけれど私は思わずとっさに嘘をついてしまうのでした。持っていた携帯で友人に電話をするふりをして
「私、いま友達とピカデリーサーカスで待ち合わせているの。もう行かなくちゃ。」
「寂しいね、もうお別れか...。」おじいさんは残念そうに微笑みました。
ティールームを出ると彼がいきなり私の手をつないできてちょっと驚きましたが
不自由な足をひきずりながらも両手いっぱいの荷物を駅まで一緒に持って運んでくれました。
人通りの多い道を貧相な老人と手をつないで歩いているだけでいつしか自然に好奇の目が集まり、
正直なところ恥ずかしさでいっぱいでしたが、この時なぜだか彼の手を振り払うことができませんでした。
「ここまでしか送ってあげられないけど。」
駅の改札口でそう言うと私の頭をポンポンと撫でて
「さぁ、行きなさい。」それはまるで幼な子にするような優しい仕草で私を送り出し
おじいさんは名残惜しそうに姿が見えなくなるまで手を振っていました。
私はその顔があまりに寂しそうだったので嘘をついた自分に深く後悔していました。
そして、地下鉄の中でいつまでもおじいさんのごつごつしたしわくちゃな手の温もりを思い出していました。
その後の買い付けでは、日程が合わなかったり、仕入れの拠点をロンドンから地方へ変えたので
エンジェルへ行くことはありませんでした。
「そりゃぁ、家へは行かなくて正解だったんじゃない?いくらお年寄りとはいえ
海のものとも山のものともわからない初対面の男性と密室は危険すぎるでしょ。」
この話を私の周りの知人や友人達にすると皆一様に同じ言葉が返ってきます。
でも、一人暮らしの老人が寂しさのあまり純粋に話し相手を求めていたのだとしたら
本当に申し訳なかったと今でも心が痛みます。
それとも、皆の言うとおりとんでもない恐ろしい目に遭ったのか、今となっては知る術はありません。
帰国してからも、時々このおじいさんのことを思い出していましたが、
日々の慌しい生活の中でいつしかおじいさんのことは記憶から消えかけていました。
勇気を出して電話してみようかなとも思いますが、洗濯してにじんだ電話番号はもう読み取れるものでもなし
ロンドンのマーケット事情も価格高騰や市場衰退、ディーラーの高齢化などといった様々な背景があるようで
残念ながら閉店してしまうお店が少なくありません。
Smithおじいさんがいったいどういう人だったのかはとうとうわかりませんが 
今も水曜日の蚤の市でお元気に活躍されていることを祈ります。
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